「セクハラ」やら「アカハラ」やら「アルハラ」やら「モラハラ」やら…
どれもハラスメント(いやがらせ)のバリエーションなのですが、最近「○○ハラ」の種類が多くなったなぁと感じます。
調べてみると、なんと30種類以上にも細分化されているのだとか。
種類毎に、大雑把に例が挙げられてるんですが、どれも受けたく無いしこちらからしたくもない行為が揃ってますねぇ。
あと最近たまに「嫌がらせをしているつもりはないのに○○ハラと言われた」なんて声も聞く事があります。
いやがらせはそりゃアカンけど、気付かないままやってしまったとは言え「アンタは○○ハラだ!」なんて言われてもなんのこっちゃ判らないし、嫌な思いもするでしょう。
そろそろ「ハラハラ」ってのが出てきても良い頃。
「あの人は○○ハラだから駄目」とか「アンタは○○ハラした!ゆるさぬ!」なんて一言で人を否定すること自体がまあ暴力的ではあるし
言われた側も「○○ハラって何?初めて聞いたわー」って人も居るんじゃないかなー。
なんでもかんでもハラスメントと一刀両断されるのに苦痛を感じる…
って人だって居るだろうし
そんな人に「そんなことも知らないのか!」なーんて言った日にはこれはコレで「知識ハラスメント?」あたりになってしまうでしょう。
ここまでくると「ハラスメントハラスメント」(何でもかんでもハラスメントと呼ばれることに苦痛を感じる)
という事になって、そりゃもう収集がつかなくなって不毛なラベリング合戦にしかならぬのでは…なんて事も思います。
問題なのは「レッテル貼り(ラベリング)」が出来てしまう事。
そもそも「~ハラスメント」とラベリングしちゃうのは、問題を悪い意味で単純化していまうので危険じゃないかなあって思うんですよね。
それはある意味思考停止にすらなり得るような気がします。
問題は細分化して認識したいところ。
キマリゴトや1つの単語だけに振り回されて「○○ハラ」だからという理由をつけて人を否定するのはどうかなあって思うよ。
あと、1つの単語に色々詰め込んじゃうのは嫌だなあ。
「○○ハラ」って、言葉の定義や影響範囲がどれも広いので
されても特に嫌でも無いはずだった事を無理やり「○○ハラ」に組み込む事だって出来ちゃう事が多い。
そうなるとどういう事が起きるかと言うと、それまで特に嫌でも無かったことが「○○ハラだから」という理由で苦痛を感じるようになる…
という、本末転倒な自体にもなっちゃうんですよw
単語に振り回されてレッテル貼りするより、感情を伝えたほうが良いんでない?
こういうのって「○○が嫌・つらい・腹立つ・悲しい」という感情面の共有をした方がナンボか建設的なんじゃないかなーって思うんですよ。
単純な1次感情を伝えたほうが、自分の傷つきを分かって貰えそうだし、ハラスメントをしちゃった側も気付きやすくなるでしょう。
あと、レッテル貼りはそれをすることにより、問題を全て相手にフォーカスしてしまえるので、それはちょっとどーなのかな?とも思うんですよね。
それは裏を返すと「自分にフォーカス出来なくなる」って事なので、それはそれで危険だし、問題になりそうなんだけどな。
まず、話すという段階がすっ飛ばされるのが嫌な感じ。感情や「こういう(詳細)嫌なことヤメテ」という詳細な言葉がかえって伝えづらくなってるような気がする。
コミュニケーションですり合わせをする前に、安易にレッテル貼りすることで手っ取り早く吊るし上げたりできちゃうのがなんだかなーって。
ハラスメントを容認するわけでは無いんですよー?
勿論、どの「○○ハラ」の内容もされるのは嫌だってのは言うまでも無いです。ハイ。
された方は腹立つし悲しいし悔しい思いをするでしょうから、逆に反撃してやろうって感情も出るのは当然の事。
とは言え、1つ間違うと「○○ハラ」というラベリングは「ハラハラ」にもなりかねないので注意したい所です。
ラベリング合戦が1番怖い。